ローコードは「誰でも作れる」「すぐに形になる」という甘い言葉で広がっていく。
しかし、その裏側には、見えにくい構造的な危険が潜んでいる。
“作れる人が増える” ということは、“壊せる人が増える” ということでもある。
そして、“自由に作れる” ということは、“自由にバラバラに作られる” ということでもある。
ローコードはブラックボックスを壊すどころか、ブラックボックスを細かく分散させる装置になりやすい。
- 項目名が揃わない
- 設計思想が揃わない
- スクリプトが散乱する
- プラグインが乱立する
- 誰が何を作ったか分からない
- どれが最新か分からない
こうして、属人化は“解消”されるのではなく、“加速”する。
ローコードは、「誰でも作れる」という自由を与える代わりに、“統一しなければ破綻する” という構造的な宿命を背負っている。
だからこそ、ローコードに傾倒する前に必要なのは、新しいツールへの熱狂ではなく、構造を整える冷静さだ。
ローコードは敵ではない。
敵ではないが、構造を整えずに使えば、必ずパンドラ化する。
自由度は、統一されていない限り、破綻の種でしかない。
そして──
もう気づき始めている人もいるだろう。
便利さの影で、静かに膨張し、すでに破綻の兆しを示し始めているシステムが、そこに在るのではないだろうか。



